安土駅の南。沙沙貴山君が崇敬した式内社。
佐々木の氏神として栄えた「佐々木源氏発祥之地」であり、うっそうと繁った鎮守の森に、本殿・拝殿・楼門などの大型社殿が立ち並びます。
お越しいただく際には、ぜひ境内を巡り思いを馳せてください。
境内図はこちらから
ダウンロードいただけます。
先人が残してこられた文化財を保護し、後世に伝えることは当神社の責務です。
ご参拝の際にぜひご覧になってください。
ご参拝の際は、番号順を参考にお参りください。
本殿・拝殿・葦葺きの楼門等の八棟は、平安・鎌倉時代の様式で江戸時代に建立したものです。
鳥居には源頼朝書の「佐佐木大明神」(複製)の額が揚げられています。両脇に大きな狛犬がお迎えします。
表参道から右手に曲がり楼門までの間に、春の例祭「沙沙貴まつり」の大松明行事所がございます。
椙(すぎ)は さかえて すくすくとのび
檜(ひのき)は いぶきをあたえる
人の世の
幸 不幸に
人と人とが
出逢うことからはじまる
よき出逢をお祈りください。
建築年代 延享4年(1747~文書・県指定)
構造形式 三間一戸楼門 入母屋造 葭葺
二階建ての門で屋根が一重、一階柱上に組物と高欄をつけた楼造形式を楼門と呼ぶ。この形式は平安時代からあって、規模の大きな神社や寺院に建てられた。当楼門は天保14年(1843)の火災を、回廊・宝蔵・水屋などとともに免れた建物。腰組、軒下を三手先の組物にした本格的なもので、細部の仕事も丁寧につくられている。外観の形態も整い、とくに葭葺屋根と相まった調和はみごとである。門左右の両端間に随神を安置し、その台座に明和9年(1772)の作製年号銘がある。
建築年代 天保14年(1843~棟札)
構造形式 桁行一間 梁間一間 屋根入母屋造 銅板葺
天保火災の3ヶ月前に上棟し焼失をまぬがれた建物。柱、桁など木柄が細く優美な建築。屋根はもと棧瓦葺。大工水原源四郎の作品であることが棟札から認められる。
建築年代 弘化5年(1848~棟札・県指定)
構造形式 桁行三間 梁間三間 一重 入母屋造 銅板葺
本殿と楼門の軸線上の中間に建つ。柱間数が桁行、梁間とも三間の正方形平面の大型拝殿。拝殿は祭礼などに際して礼拝する建物であるから周囲を解放にし、柱上の飾りも舟肘木をおくだけの簡素な形式とする。本殿と同時期の上棟で大工は水原源四郎。
受付にて祈祷の受付神符・御守・御朱印の授与初穂料・奉賛金の受付を行っております。
(開所時間 9:00~16:30)
建築年代 弘化5年(1848~棟札・県指定)
構造形式 五間社流造 向拝三間 銅板葺
棟札に水原源四郎俊勇とある。昭和30年以前は幣殿はなく、簡素な中門があった。本殿の正面柱間数が五間あって、屋根の正面流れが背面より長いことから、このような本殿形式を五間社流造と呼ぶ。一般には一間社か三間社が多く、五間社の例はきわめて少ない。これをみても当社の社格が如何に大きなものであったか知ることができる。
(県指定)
一周延長三十三間、桟瓦葺、潜門二所含む
一間棟門・銅板葺
昭和30年以前は本殿の前に、この中門があった。
カエル石を撫でて幸福をお祈りください。
【ご案内】鯉のえさはこちらの賽銭箱の上にございます。
磐境には少彦名神がお祀りされています。
中門よりお参りください。
「願かけ石」そして「勾玉」のお守りにて物事の弥栄(平和と繁栄)をお祈りください。
建築年代 弘化3年(1846~棟札・県指定)
構造形式 三間社流造 向拝一間 屋根銅板葺
本殿の西側に並列して建つ。権殿は本殿を新築または修復するときに御神体を一時奉安する仮殿。したがって本殿より規模が小さく、正面の柱数が三間の三間社流造。天保14年の火災後、本殿・拝殿とともに新造されるが、なかでも一番早く上棟している。本殿と構造形式や細部意匠が類似することから、本殿の試作品として先につくられたものでしょう。棟札に大工水原源四郎の名がみられる。
少童神社・影友稲荷神社・加茂社・八神社・愛宕社・祇園社
その年の吉方恵方に向かってお祈りして幸運を呼ぶ「歳徳さんまいり」は古くから親しまれている伝統のお参りです。
伊勢の神宮式年遷宮にていただきました御用材にて令和2年に造営いたしました。
それぞれの神符・御守授与所にて頒布しております。
本殿のうしろにはかわいらしい十二支の干支の石像が並びます。
(女性の石像彫刻家 中嶋登茂美さんの作品です)
また四季折々様々な珍しい花が咲いています。
国歌「君が代」
「君が代は千代に八千代に
さざれ石の巌(いわお)となりて」に
詠まれるさざれ石。
長い年月の間に雨水で溶解した
石灰岩の乳状液が多くの小石を凝結して
巨大な岩となったものです。
国歌には
さざれ石が岩となり苔が生えるまで
永遠に栄えてほしいという願いが
こめられています。
学名 石灰質角礫岩
岐阜県春日村産出 天然記念物
(市指定)
正安二年(1300)在銘、高さ227cm花崗岩火袋と笠は中台に合せて江戸期に後補、六角形の石燈籠でありがなら円形の基礎であり、めずらしい組合せの燈籠である。
拝殿西側に石組と池の庭園がある。明治21年7月に長浜出身で晩年神崎郡南五ヶ荘村金堂に定住した「勝元宗益氏」の造園した名園があって、同氏の築庭に関する号を「鈍穴」と称し、原形がよく保存されている。庭の背景にある「宝蔵」「廻廊・表四座」は「楼門」が再造新築になった延享4年(1747)と同時年代頃の建造物である。
建築年代 楼門と同じ延享頃(県指定)
構造形式 桁行四六間 梁間一間 切妻造 棧瓦葺
楼門の両側から聖域を構成するために細長くL状に囲う。梁間は一間あって外側の柱列には連子窓を入れて隔壁につくる。内側は二間ごとに柱を建て大虹梁を入れて開放にし、屋根下を祭礼のときの座に使用するようにできている。天保の火災を免れた建物。
建築年代 楼門と同じ延享頃(県指定)
構造形式 桁行四六間 梁間一間 切妻造 棧瓦葺
楼門の両側から聖域を構成するために細長くL状に囲う。梁間は一間あって外側の柱列には連子窓を入れて隔壁につくる。内側は二間ごとに柱を建て大虹梁を入れて開放にし、屋根下を祭礼のときの座に使用するようにできている。天保の火災を免れた建物。
旧源照殿は登録有形文化財となっており、霜楓園として修復・活用する予定です。
お問い合わせは、
TEL/0748-46-3564まで
お電話ください。